研究テーマ選びと自分の興味

今日は本を読むより書きたい気持ちになったので筆を走らせようとおもったので走らせてみる。文字を書く勢いがある時は書くべし。

 

 

最近、友人たち(計3人)と月一で一人ずつで研究発表会をしている。

研究、とか言っているけど、大それたことをしているわけではない。

レベル的には大学のゼミ発表レベルだ。なんなら専門家もいないし全員が別分野に興味を持ってる。

1人は院生で言語教育(以下、院生くん)。もう1人は高卒(消防士)で経済学(消防くん)。そして自分は大卒で歴史学

 

 これだけみたらめちゃくちゃだが、院生くんと自分は大学ないし大学院でそれなりに「学問とはどういうものか」を学んでおり、各々の専門知識はなくとも学問的な指摘が多少はしあえるはず。そして消防くんは経済に興味があるらしく、お金をためて大学に行きたいと言っている程度には本気なので、どうせならお互い自分の勉強した興味のあるテーマについてアウトプットする機会を作ると皆自己研鑽につながるし興味を深められるよね!

という動機ではじめてみたのである。

 

 もちろんテーマは自由である。言うまでもなく、初代ローマ皇帝アウグストゥスの熱烈な支持者である自分は迷わずローマで、時代を共和政末期から帝政初期に絞った。

 

 

 

 さて、ここで頭をもたげる問題であり今回の記事の本題であるのが「研究テーマ選び」である。

 

 

大雑把な目標は「アウグストゥスの作り上げた統治理念の解明」なのであるが、彼の目指す統治の在り方を考えるうえで見逃せないであろうキーワードが多く浮かび上がってくる。

やれカエサルの神格化だ、血統だ、インぺリウムだ、アウグストゥス(称号)だ、クリエンテスだ、最高神祇官職だ、プリンケプスだ、そもそも帝政ってなんなんだ、法的権能がなんなのか、自身の業績録はどういう意義があるのか、宗教復興は何を意図しているのか、、、、建築活動の意義、、、地方都市との関係、、、植民市、、、、

 

アウグストゥスの信奉者になってはや8年(え、もう8年も経つの?やだーなにもわかってない)、アウグストゥスないしローマのことでここまで考え続けたことはない。

あ、ちゃんと仕事はしてるよ?

 

とにかく、キーワードが多い。まあそれは当然である。あれだけの大国を変えたのだから一つのキーワードで説明できない。できるわけがない。なんなら研究すればするほど言い表せないものになっていくに違いない。とかいったらE・H・カーに怒られそうだけど。

なんにせよ、過去との対話を続けることに意義があるわけでありまして。

その為にはやはり一つ自分の切り口を見つけねばならないのです。

 

 

 なんとなく、ぼんやりと、自分が国制における統治構造とか権力基盤に興味があるんだろうな、特に内乱が激しい時期にどのようにして権力基盤を築いたのか、というのに興味があるな、という自覚はある。日本の戦国時代然り、ドイツの叙任権闘争しかり。

 

 

こんな感じで、自分の興味と重要そうなキーワードの切り口を照らし合わせて自分の芯となるテーマを磨いていくわけだが、、、

考えれば考えるほど全部重要で、でも全部網羅して体系的に整理して、、、とおうのはさすがに素人の仕事じゃない。当たれる史料資料に限界があるのだ。そもそもラテン語なんて死ぬほど気合い入れて一文節翻訳できるかどうかだ。

そんなこと考えていると、研究テーマと自分の興味を合わせずにもっと楽そうなテーマに走ってしまおうか。そもそも自分が興味あると思っている事に本当に興味があるのか。その要素を含む違うところにあるのではないか。そんなことまで考えたりするけど、あくまでこれは趣味だ。好きなことを考えたい。嫌いにならない限りは。

 

 

 こんなことをやっていると、卒論を書き始めようとしていた頃を思い出した。

そう、同じような作業を当時もしているのだ。

ハインリヒ4世は、グレゴリウスは、王派諸侯は、反王派諸侯は、なにをしたかったのか。信望を失いつつあるハインリヒ4世を支えていたものはなんだったのか。それぞれの関係性はどう影響を及ぼしたのか。つなげて考えるべきか、分離させて解釈するべきか。

それでもなんとか落としどころを見つけて卒論を書ききって悪くはない評価はいただけた。

 

 

 そう振り返ると、歴史学としてのローマ史に初めて触れていく過程でこの苦悩は健全な状況なのかな、とか思ったりする。

そして結局その答えを出すにはいっぱい先行研究に当たるしかないのも経験している。

なので、とりあえず本やら論文やら読んで、考えて、自分の興味を削り出すという事を進めていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サカナクションの新曲を聞いて考え始めたこと。

はじめまして。

自己紹介とかすべきなのかわからないけれど、今じゃないなと思うので自己紹介は割愛。興味がある人は今後の記事を見て筆者の人格を再構築してみてください。

 

 

サカナクションが好きで、最近新曲が出たという事で聴いています。

やはりサカナクションワールドがしっかり出てて、相変わらず最高だなサカナ!という気持ちで聴いてますね。最高だ。

 

 

と考えてたんだけど、感想に関して「サカナ最高だな」しか言ってないんですよね。

そう、感想を言語化できていないのではないのかと。

 

普段からどうだべか、と思って立ち返ってみる。

うーん、おいしいごはん、おいしいお酒、好みの絵画や彫刻、映画を見たときに感じるものって割と言語化、、、できているかどうかはわからないけど、「最高だ」の一言で終わったりはしてないんですよね。

深みやら情景やら質感やら雰囲気やらフェティシズムやらを感じてそれを言葉で多少なりとも語っている。そんな気がする。するだけ?

 

でも音楽って自分にとって一番長い時間触れているアートで、一番初めに触れたアートで。

幼少期からヴァイオリンを習い、両親も昔はアマチュアのオーケストラ団員で。なんなら妻もチェロ弾きで。

聴けばモーツァルトがよい、ベートーヴェンがよい、シベリウスがよい、ファリャがよい、そういう「よい」という感想を残すことはできる。

クラシックでライトモティーフを用いた楽曲ならばそのモティーフを元にコメントを残せるけど、それ以上いう事ができない。

 

ううーん、いいものだ、好みだ、と感じていることは確かなのに、分析ができぬ。自分自身の分析ができてないのか、曲をのモノの分析ができてないのかもわからぬ。ぐぬぬ

 

 

 

そこでちょっと視点を変えてみたい。最近「センス」というものがなんなのか考えることがよくある。わりと漠然とした概念だ。

どう考えてるかは話がずれるので割愛するけど(また割愛か)、センスは「感じるもの」であるという結論が自分の中で出ている。今のところの最有力説。感じることができないとたぶんセンスがあるものを作れない。

 

 

じゃあセンスってなんなんだ?と考える。

そして思ったのは「それが持つニュアンスにいいと思うこと」ではないかと。

 

 

立ち返ってみる。音楽の感想をどうしたら言語化できるのか?

センスの事を考えながら音楽を聴く。

すると、音の動き、メロディーライン、間の取り方、強弱、声質、そういったものに「センス」を見つけはじめた。「いいとおもうけどよくわってないもの」に「センス」という名前がついた。

なにがどういい?と聞かれると、うーん、自分の感性的にその音楽に含まれているニュアンスがよく合う、という表現にしかならないんだけど。でもセンスを感じるものを語るのに必ずしも高説ぶって語る必要もないのだ。いいものはいい。センスはセンス。

でもこれで、ただ漠然とした「あ、いいな」というもののなかにある「センス」を拾い上げて「センスのあるもの」という名前でそれの持つニュアンスをコレクションしていく作業が可能になったわけだ。

 

だから、いいな、と感じたけど言語化できないものはもう一度聴いてみて、ちりばめられた「センス」を拾い上げていきたいなって思ってます。

 

以上!

 

サカナクション最高!

「歴史の話」のはなし

また一か月以上空けてしまった、、、

いやまぁ定期的に書こうとかそこまで考えて始めたわけじゃないんだけど、なかなか筆を起こす(?)気にならなくて。

空き時間はゲームとかゲームとかゲームとかで忙しいカラネ!


さて本題。
歴史の話をしたいなというので始めたブログなんだけど、なかなかネタが思いつかず。正確には「気軽に書けるネタが思いつかない」。

うーん、中高生の頃やってたブログは最近仕入れた歴史の話を「どうだ!みんなしらなかったでしょ!」みたいなメンタリティで書いてたんだけど、それから10年経って「あぁ、俺は何もしらないんだな」という若干後ろ向きな気持ちも湧いてきて、あのころのような勢いでは書けなくなってしまった

しかもアホな中学生だったので批判的な視点でものを見たりせず、今思うに嘘くさくても鵜呑みにしてしまっていたため、今見返すと「浅いなぁ、、、」と思ってしまうようなまとめ方とか考察(みたいなもの)ばかり書いていて。
あ、さすがにトンデモ論みたいなやつは鵜呑みにしなかったけどね!?

当時は歴史を「受け取る」だけで考えるという事をしなかったから、そういうことが起こったんだろうなぁ。
その後大学のゼミで歴史学を齧り、そこでやっと、ああ、歴史っていうこうものか、「史実」はこういうふうに作られていくのか、という事を知り、やっとスタートラインに立てた。そう、やっと。
一応幼少期から親などの影響で歴史に触れ続けていたのに、齢二十だか二十一だかにしてやっと。

今まで読んだ本、こういう風に読んでいれば、こういう考えを知っていたら、もっと自分の中での「歴史」(概念)が変わっていたのになぁ、、、という喪失感が沸いてきたのは覚えてる。
いや、確かに「歴史」コンテンツそのものの楽しみ方、触れ合い方は歴史学的な楽しみ方が正しいとか、絶対だとかではないし、なんなら歴史小説も読んだりしたし、自己啓発的な歴史本も読んだし、歴史ドラマだって見てたしで、それも歴史との触れ合いとして当然なんだけど。
ただ探求心を満たすという歴史が楽しくて、でも講談とか創作逸話とかも鵜呑みしてる部分もあって。

そして、歴史学を齧って改めて「あぁ、俺って学問ができるほど賢くないな」というのを感じたり。
まああとツイッターで自分なんかよりずっとずっと詳しい人いて、鋭い指摘出る人がわんさかわんさかいて
なんか他人と比べて劣等感にさいなまれてるんだよねぇ、、、それは俺の性格なんだけどね、、、

まあそう、そんなところでブログで歴史の話を紹介するのに「ちゃんと調べてちゃんとまとめて自分なりの考察をせねば、価値がないのでは」っていう強迫観念が強くなってきてしまった。
それこそ、前回のブログくらいやらないと、、、というやつ



そんなことを考えてて、でもこれって悪循環だなって思って。
なので、落ち着いて一つこう、単に調べてまとめるという作業だけでもしていきたいなって。そういう作業からゆっくりまた日曜歴史家みたいなこと続けていければ趣味として普通に向き合えるのかなっておもいました

そんなわけで、もくず版「ローマ皇帝列伝」とか「戦国武将列伝」でもやっていこうかなと思います。ブログならあまり人と比べる機会も少ないし。
そんなことを考えたりしてた


(なんか高校生みたいな記事だな、はずかしい)

ハインリヒ4世と叙任権闘争と諸侯

2度目の更新。
さる1/25はドイツ中世史に名高い「カノッサの屈辱」と呼ばれる事件が起こった日。
簡潔に言うと、(いわゆる)神聖ローマ帝国皇帝のハインリヒ4世教皇グレゴリウス7世に謝罪して破門を解いてもらった事件です。教皇が皇帝を上回るきっかけともいわれています。
当時高校世界史で教わった時には友人と「カノッサの凌辱wwww」なんてくだらない事を言ってましたけど、これが自分の卒論のテーマになるとは当時1ミリも思ってませんでした。当時は日本史にしか興味がなかった。。。。なんでそんな奴がドイツ中世史をやったのかはまたいずれ。

本題へ。
”皇帝が教皇に謝罪した”という構図ばかりが強調されてしまっていて実際はどういう流れで謝罪したのか?本当に教皇権力は皇帝を上回っていたのか?ドイツ諸侯は何をしていたの?てゆーか何が問題なの?というところを整理したいなと思って、筆をツイッターで走らせてみました。ハインリヒ4世の名誉とかにもかけて。ただの謝罪マンじゃないということをしってほしくて!
それに、この一件は叙任権闘争だけが絡んだ問題ではない!という視点を提供したいという目的もありまする。
ただツイートしてみたものの、ツイート数は25を超え文字数にして3500文字程度まで膨れ上がったので「これ誰も読まねーんじゃねーの、、、」と思い。ブログにそのコピペ記事を作ろうと決心。
そんなわけで、以下。1/27の自ツイートをまとめたものでございます。少し修正したけど



さて、「カノッサ行」への流れはどうしても叙任権闘争にまつわる問題で教皇と皇帝の関係が破綻して破門からの謝罪、と思われがちだけど、ここで「破門解除の為の教皇への謝罪」という一見皇帝の教皇に対する敗北のように見える行動に出たのにはドイツ圏内の情勢を解決したかったからなんじゃ。つまり少なくとも皇帝は教皇に屈したわけではない。
謝罪後に軍勢を率いて教皇をローマから追い出してるからそりゃそうだ、と思うかもしれないけど、細かいプロセスを知るとまた見方は変わる

先帝ハインリヒ3世は即位時点で3つの大公を手中に収めてたのを諸侯に任じて大公の官職化を図る、つまり大公職を伝統的な「部族大公」から引き離したり、教会の問題に介入したりと、中世盛期あたりまでの皇帝のなかでも特に内政面はトップレベルの安定性を保っていた

神聖ローマ関係の書籍をいくつか出してる菊池良生も「中世盛期最強」って言ってた(気がした) (菊池センセの評価は割れるかもだけど)
まあ当然他の大公はじめ諸侯からは反感を買って蜂起されたんだけど無事鎮圧。反乱起こしたロートリンゲン大公領そのものを分割するとか何事やねんという 
ほぼほぼ快調な滑り出しを迎えたにもかかわらず、死ぬ
38歳で死ぬ。おまえ、これからやろ!というところである。有能ハインリヒ3世なので既に息子をローマ王にしていたので、とりあえず円滑にドイツ王即位。順調に統治!かに見えた。

ハインリヒ4世、4ちゃい。何がどうこうできるわけでもなく、摂政である母アグネスに全権委任する形に。このママ、結構押しに弱いタイプのようで。それまで抑圧されていた諸侯たちはこれ見よがしに暴れます。具体的には王領を勝手に奪ったりハインリヒを拉致したりします。あぁ、3世が生きていたらなぁ

土地も権威も削られるドイツ王。ハインリヒくんの性格も歪んでいきます(たぶん。歪まないほうがおかしい) 
そんなこんなでなんとか元服したハインリヒ4世。親政開始直後に早速反乱につぐ反乱。しかし鋼メンタルを手に入れたハインリヒ4世はパパ同様、王権の回復と強化に勤しんでいきます。がんばれ!

その過程でいわゆるザクセン戦争が起こります。摂政期に奪われたザクセンの王領を奪還しようとしたハインリヒ4世は元王領地に勝手に城建てたりザクセン外から連れてきた農民を入植させたりしました。明らかに喧嘩売ってる。いや、元は自分の土地だけどさ
、、、まあその土地もパパがザクセン諸侯から奪った土地なんだけどね

そんなハインリヒ4世のやり方にキレたザクセン貴族層はハインリヒ4世を包囲。この時戦いの準備をしていなかったハインリヒ。劣勢に立つもなんとか一旦和睦。

ハインリヒ4世は和睦条件である王の城の一部破却は行ったものの、別の城を建てるというクソムーブをします。キレたザクセン諸侯はハインリヒ4世の兄弟と夭逝した息子コンラートの墓ごと城を破壊しました。
うわー!墓を破壊!!!!!寒いダジャレな上に神聖なる王家の墓を暴くなんて許さないよね?!みんなこれおかしくね?!みんなでザクセン殴ろうぜ!って言ったかどうかはわかんないけど、大体そんな内容でザクセン諸侯を批判して味方を募ります。
おまえこれを狙ってただろ(個人の意見です

そんなこんなでザクセン公より多くの軍勢を集めたハインリヒくんは農民を中心とするザクセン軍に勝利。無事に王領地を正式に取り戻します。これが1073年のこと。 こんなことやってるので諸侯のヘイトは溜まります。足利義教みたいに恐怖に陥れられればよかったんだろうけど、普通にヘイトですよねこれ

そんな展開のなか、教会の腐敗に対する改革が教皇グレゴリウス7世の下に進められていました。
俗世の利益に目を眩ませた聖職者を追放しようというやつで、俗に言うクリュニー修道院改革。具体的には、聖職売買や妻帯者を追放しようぜ、というやつです。この動き、ハインリヒ3世期から存在しており、彼もまたその動きに賛同していました。
というのも、ドイツ各地にある司教領を治めるドイツの聖界諸侯たちは皇帝による叙任であったため、一般的な俗界諸侯に対する楔として機能していた(いわゆる帝国教会政策)ので、教会の腐敗をなくす事で統治にも利益があったわけです。生臭坊主どもめ!

しかしグレゴリウス7世が教皇に就任。クリュニー修道院改革を強化する形でグレゴリウス7世なりの全体的な教会改革を行います。ここでこんな事を言い出します。「教会法的にはやっぱ王/皇帝が叙任すんのおかしくね?」と。当然ドイツ王というかドイツだけでなく全国的に王とぶつかります。

まあグレゴリウス的には俗界に取り込まれつつある教会を解放したいというのが柱なので(諸説あり)ので、ドイツ以外の王権ともぶつかるんだけど、グレゴがそれなりに折り合いをつけてくれたり、その王国の状況とかも考慮したりしてたのでそこまで大ごとにならずだったよう。
でもこのグレゴリウス7世が出した、改革の要綱ともいえる「教皇令書」、割と過激。
教皇の行為の正当化とか、俗人君主に対する優越とか宣誓の解除権とか破門された時の具体的な法的制限とか。全27か条。人によってはこいつを「教皇至上権規定」って呼ぶ研究者もいる。そんくらいすごい
全文については「dictatus papae」でググると出るよ。原文(ラテン語)か英訳くらいだけど。(全部日本語に訳されてるのが載ってる本もあるよ
↑英語全訳版が書いてある

これが出されたのが1075年。カノッサ事件の2年前である

んまあ俗人君主に叙任された司教は認めねーからって言われたのでドイツの司教たちも溜まったもんじゃない。 ハインリヒはその問題について帝国議会を招集。そこでなんと逆にグレゴリウス7世の廃位を決議。やりますねぇ!って感じなんだけど、集まったのはほとんど聖界諸侯で大公は一人しか来なかった
だいぶ嫌われてんなハインリヒ、という感じではあるけど決議は決議。しかし破門の使い手であるグレゴリウス7世は破門カッターでハインリヒ4世以下ハインリヒに同調したドイツ・北イタリアの司教たちを破門!さらに諸侯のハインリヒ4世への臣従を解除します

でもこの時点でハインリヒ4世は破門された事に関してあわてないどころか抗議文を送り返します。この辺りからわかるように、教皇令書自体あまり効力の強いものではなかった、すなわち一般諸侯はそこまで認めていなかった
たぶん教皇もそれはわかっていて、あくまで教皇に従わせるというよりただお前らの手のひらの上にはいないぞというアピールであろうというのが所感 ハインリヒ3世の頃には教会は介入されまくったからね、、、

二人が言い合いしてる間に、諸侯たちにも少しずつ動きが見え始めてくる。反王派諸侯はこれに乗じて諸侯は再び議会を開き王の進退について結論を出す。その結果「半年以内に破門解除がないと新しい王を立てます!」との結論が。結構荒れたらしい。王は近くまで来たけど参加させてもらえなかったとか

半年待ってくれるの!反王派多いのにやさしい!って感じだけど、それは教皇が諸侯に「恭順するなら優しくしてあげて」という口添えのおかげ。グレゴリウスくん、一瞬厳しいけど実はやさしいタイプだよね(個人の感想

そんなわけでやっとこさここでハインリヒと諸侯の対立とハインリヒと教皇の対立が繋がったわけで、叙任権闘争の図式としてはハインリヒ対教皇&諸侯という一図式に落とし込むのは違うのじゃ(持論 あくまで教皇からの圧力を諸侯が利用したという形で、でもそれは教皇の意図にはそぐわないという
実際、教皇と諸侯は足並みも揃ってないんだよね。 恭順の意を示したら許せという教皇の指示があったにもかかわらず、謝罪の後、諸侯は対立王を立てて闘争を継続してる。
でも対立王のルドルフフォンラインフェルデンくんの方がハインリヒより性格よさそう(イメージ
ルターの農民戦争も似たような感じのイメージ。聖職者の行動がきっかけだけどそれを元に暴れた一般人たちはその聖職者に梯子を外されるという

話を戻す ハインリヒ4世はとりあえず破門解除してもらわなきゃ何もできんという事で何はともあれ謝罪に向かいました。1077125日、カノッサ城にて謝罪を始めました。3日間も!寒い!(本当にしたかどうかは謎

そんな彼の姿を見たグレゴリウス7世は破門を解除。わりとあっさり。教皇にとってはこの姿を見て一安心というか、彼にとってはひとまずゴールだったのです
晴れて王としての正当性を回復したハインリヒは対立王に戦いで負けてもう一度グレゴリウスに破門された(!)あと、戦いの傷が元で対立王が死んだのでこれはチャンスといわんばかりにまたグレゴリウスを廃位してグレゴリウスをローマから追い落として死なせます。いえーい!

ちなみに神聖ローマ皇帝はドイツ諸侯の承認でドイツ王就任→教皇による神聖ローマ皇帝戴冠 という流れで皇帝になるんだけど、こんな事件があったので2度目の破門の時に対立教皇を立てて戴冠してもらうまでは実質皇帝ではなく王という肩書だったよ。

というのがカノッサ事件の顛末。 
なりふりかまわず、でも付け入る隙を与えずに確実に危機回避してから十分に準備を整えて敵を殺しにかかるというムーヴのハインリヒ4世!そしてヘイトは溜まる!ゲスムーブを繰り返して切り抜けるハインリヒ4世に興奮するし、晩年には二人の息子にも裏切られるという展開もポイント高いよね、、、フフ

まとめると、ハインリヒ4世が謝罪したのはドイツ王位を保持するためであって教皇にひれ伏すつもりはなくなんならドイツ諸侯を抑えつけるのが目的であるし、グレゴリウスもドイツの情勢を荒らすつもりはなかった、、、というのがカノッサ事件にまつわる一連の流れ。また、カノッサでの謝罪は叙任権をめぐる争いの上での「皇帝の教皇への屈伏」ではないのであります。わかりにくかったら指摘くださいな


ハインリヒ4世にまつわる研究者に井上雅夫先生がいらっしゃるので、気になった方は先生の著作をおススメします。
でも一昨年くらいに引退なさったので今後のカノッサ事件とハインリヒ4世の研究は誰がリードしてくんやろ。。。

最近まで無職やってた話

タイトル通り。

先週の中頃まで無職やってました。

ああえーと、まずは身の上話から。

大学卒業してから一年半ほど働いていたのですが、ブラック業界にうっかり入ってしまったために、週6で残業6時間してました。卒論にかまけて就活をまじめにしなかったツケですこれ。いや、卒論が悪いとは言ってない。卒論はよかった。たのしかった、もう書きたくないけど。いや、期限に追われるのが嫌だった(社会不適合発言)

まあそんなこんなでその間に結婚いたしまして、結婚したのに一緒に過ごす時間も少なく、なんの為に働いてるのかわからなくなり、仕事もしんどい(しんどい、、、)のでやめました。あ、残業代はたんまりだったので基本的には嫁さんも金銭的な憂はないのでやめることについては快諾でした。優しい嫁さんや、、、

さて何が言いたかったかというと、無職はたのしいぞという話。

朝起きて嫁見送ってコーヒー淹れてゲームして本読んでゲームして買い物行って料理して嫁の帰りを待ち、そしてご飯を食べて一緒にアニメ見てのんびりして寝る、という!!!!!楽しい事しかない!!!!!!

優雅だよ!楽しいよ!ってかむしろ主夫!!!!
こんな生活、きっと次は定年後だよ!

などなど、無職エンジョイを勧めたい。
心がまず健康になる。他人の敵意に触れないし、自分の生活リズム作れるし、好きなもの作れるし、心の余裕があるのでなにかチャレンジしてみようとか思いはじめる。実行に移すとは言ってない。

とはいいつつ、仕事にも向き不向きがあるように、無職生活も然りなのかなって。

男女限らず、家事よりも職場での労働が好き、ないし楽、という人もちらほらいるみたい。たしかに、グループワークとか人と直接会話しながら動いてたほうが、家でソロプレイしてるより精神的に楽!って人もいるのも納得ではあるよなぁ


結局どっちなの!って言われそうなので一応まとめておく

仕事をやめようか迷ってるアナタ!!!!!
一旦やめて無職を体験してみるのもあり!!!!
一度でいいから!人が!友人が!同期が!家族が!仕事に追われてる時間に!コーヒーを!豆で買って!ミルで挽いて!淹れて!飲む!という事を!経験してみては!いかがか!!

前向きな気持ちで転職活動したほうがいいと思うしね。前職とか冷静に振り返れると思うんだ。そんなこんなで自分の納得できる企業を見つけることができました。


今回はただの自分語りでした。

それでは。




「不正行為」が「性行為」に聞こえる問題について。

ブログ開設

はじめまして。

歴史とゲームとたまにアニメが好きなのですが、長文でそれぞれを話したいなと思ってブログを始めてみました。

文章が上手いわけではない(!)のですが極力わかりやすく書いていく所存です。

大学卒業してから社会人生活で趣味につながる刺激を受ける機会も減ってしまいましたが、自分で刺激と探求心を沸き起こさせるのは文章を書くことだな!と思い立ち、始めてみました。それに、学生以来、自分の考えを長文にして思考して推敲して一つの結論に行きつくという行為をすることがなくなってしまったのも、また一つの理由です。

話の内容は以下になります。
・歴史
 中世ドイツ(ハインリヒ4世が好き)
 戦国時代(毛利元就が好き)
 あと大学で歴史学を少しかじったのでそれについて考えたりしたいなぁ。そして意見も欲しい。

・ゲーム
 歴史系の戦略シミュが好き。EU4とか。でもAARとかは書かないかも。

・アニメ
 ガンダムが大好き。ガチなアニオタではないので有名どころを見てたり見てなかったりしてる。

・お酒
 ウイスキーが好き!!!!特にアイラ系。カリラとラガヴーリンラフロイグを飲み続けたい。


こんな感じです。
基本的には歴史が中心になるはず、、、なので、そのつもりで。

記事内容に関係あるコメントは気にせずご自由に!意見を聞かせてください。
それでは!